夏真っ盛りのとある日、窓の外を眺めている50代の男性が居ました。2階からの眺めでふと、下に目をやると、汗をかきながら一生懸命自転車のペダルをこぐ中年女性が目に留まります。自転車の前かごには大きな洗濯袋が載せてあります。50代男性の妻が、新しい洗濯物をご主人の居る病院まで運んでくれている光景でした。

 

 

ご主人は末期癌で余命3ヶ月の診断を受けていました。ご主人は病床で、一生懸命尽くしてくれた妻を想い、「どうせ残された人生だ、残りの人生は妻の為に使っていきたい」と考えあることに気付きます。「そう言えば家内は、あの山の5合目からの眺めを、一度でいいから見てみたいと言っていたな」。このご夫婦は山登りが共通の趣味で、毎年沢山の山々を訪れていました。

夫婦で話し合い、延命治療でじっとしているよりも、外に出て山登りの最後を迎えたいと主治医に伝えるも、「外に出てはいけません」と即座に断られました。ある日ご夫婦は主治医の忠告を退け、病院をそっと抜け出します。

初めの1ヶ月は山登りのための体力作りに専念し、次第に体力が付いていきます。余命3カ月を過ぎ、5ヶ月目にやっと妻の念願だった山の5合目まで行くことが出来、夫人は大層喜びます。「余命」のことは夫婦で気にしないようにし、共通の趣味「山登り」をずっと続けます。1年が過ぎ、3年が過ぎて行きます。ある日ご主人が鏡の前で顔を洗っていると、「顔色の良さ」に気付き、病院で診察を受けます。すると結果は「体内の癌細胞は全くありません」と言われます。そのことを家に帰り妻に話をすると、妻は大いに喜び、「もうけものだね。これからは、何1つ気にせず、山登りしようね」と言って、笑顔で答えました。一体ご主人に何が起こったのでしょう。消えるはずのない末期の癌細胞はどうして消えてしまったのでしょう。

 

 

ここにもう1つの話があります。テレビで時々目に入るニュースです。都会に住んでいるある家族の話です。娘さんとお父さんが「花粉症」に、もう何年も悩まされ、生活に支障が出る程に悪化してきました。家族で話し合い、「田舎暮らしの生活」を決意し、仕事を辞め家族全員で田舎暮らしを始めます。慣れない新しい仕事。学校が変わって心配事が増える子供達。ですが1つだけ変わったことがありました。娘さんとお父さんの悩みだった「花粉症」が、数ヶ月間で全快していたことです。都会暮らしでは、病院から処方された「薬」をいくら使っても、症状が年々悪化するばかりだった「花粉症」が何故、田舎暮らしを初め、しかも「薬」まで止めてしまったのに治ってしまったのでしょう。

「花粉症」は軽い病気だから治ったのじゃないか。では「末期癌」はどう説明したら良いのでしょう。実は「病気」の本質は、病気の「軽い」、「重い」ではないのではないでしょうか。一つは「花粉症」、他方は「末期癌」。全く異なる病気ではありますが、実は両者ともある共通の存在が作用しています。「花粉症」という軽いレベルの病気だけでなく、「末期癌」という非常に重い病気まで治してしまう存在。それは一体何なのでしょう。