前回までの2回で、「秩序」、「自然動物界の掟」について触れてみました。人社会全体の「在り様」を映し出す「秩序」。この数十年、日本中の大人がこぞって追い求めてきた、「便利」、「快適社会」をどれ程手に入れても、どんなにハイテクノロジーを完成させても、最もらしく聞こえる「キャッシュレス」、「ペーパーレス」というキャッチフレーズがあふれようとも、正常な「秩序」が存在しなければ、子供、若者が担う未来社会は、無秩序社会となってしまうことでしょう。「モノ」、「快適」、「便利」だけを追い求めることは、次第に「楽しい」、「面白い」生活のみの習慣になります。常日頃「自分だけが快適」、「自分だけが楽しい」習慣は、「秩序」の象徴でもある「自分以外の全体」を一切優先することがなく、「責任」という「自覚」も消失し、国民としての、大人としての「義務感」すら人は失ってしまいます。「全体」のために「我慢」、「辛抱」をする。「全体」という「他のための努力」を捨て去ることは、「秩序」を破壊していくことにつながるだけでなく、「内面能力」であり、唯一の抑止力でもある『心』を腐食させ、失わせてしまうことになるでしょう。

 

    

 

「楽しむ」、「快適」、「便利」と共に現れた「モンスターペアレント」と言う言葉。「我儘」、「傲慢」、「自分勝手」、「自己中心的」な大人が目立ってきたのは約30年ぐらい前からでしょう。そこに拍車をかけたのは「楽しい」、「便利」と共に「犯罪ツール」と化した「携帯電話」の出現。そして追い打ちを掛けるように、世にばらまかれた「スマートフォン」。「我儘」、「傲慢」、「自分勝手」、「自己中心的」な大人が量産体制で増えていったのです。小さな子供に平気で「虐待」をする大人。「我慢」、「辛抱」の経験がなく、褒めて褒めて褒めそやす、「褒める子育て」で子供を育てる。まるで我が子の執事の様に「車での送り迎え」をする親。『心』を育てることを一切せず、大きくなった若者は、小さな壁で、小さな逆風ですぐに「心」が折れ、「不登校」、「自殺」、「ニート」、「引きこもり」となるのは当たり前のことではないでしょうか。

 

    

 

さて、子供を崇高な位にまで引き上げてくれる『心教育』について、本題に入っていきましょう。『心を正しく育てる』完全版は未だ存在しておりませんが、戦後すぐまでは、人の内面『心』を鍛え、育てることに重点を置いていた教育が、多くの家庭で行われていました。ですが戦後すぐまでの「内面教育」は、各家庭で内容にばらつきがあり、全ての家庭に統一された教育法は存在していません。日本由来の教育法は未完全ではありましたが、戦後すぐまでの日本社会は、世界が驚愕したほどの「崇高な秩序社会」を生み出し、この数百年、世界中の著名人は、日本について「絶賛の名言」を残していきました。かつての日本社会が如何に「奇跡の社会」であったか。『心を正しく育てる』本題に入る前に皆さん、世界の声をどうか覚えておいて下さい。次回は、「日本の姿」について語った、「アインシュタイン」を始めとする世界の著名人の名言を、皆さんに知って頂こうと思います。